生き方を変えることにしたオヤジのブログ

いわゆる管理職だった。でも大病をキッカケに生き方変えた。

「 役職者 」から外れて1年。自身をレビューしてみた話。

タイトル通りのいつもの内容。

「 役職者 」を外してもらって約1年になる。

果たしてどうだったんだろうと振り返ってみた。まずこういう話は「 結論 」から。

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早く梅雨明けしないですかね。もうあの豪雨はこりごりです。

【 結論 】もし思い悩んでいるなら「 役職を手放す 」ことをお勧めすします。

 

ただし個人個人色々と取り巻く環境が違うから万人に当てはまるわけではないことは

ご理解のこととしてお話します。私が思うに以下の条件に当てはまれば、「 それ 」を実践することをお勧めします。

 

1、「 役職を手放しても一番大切な人を苦しませない 」環境にあること。

2、「 『仕事>自分の人生』になっている公式に疑問を感じる 」様になった。

3、「 社会人人生が6割過ぎた 」方々。

 

この3点がポイントだと思う。

まずは「1」だが、これは絶対に一番に考えたほうが良い。自分の一番大切な人はだれですか? 降格することでその人を苦しませませんか? それは大切な人の人生をも巻き込みませんか? はっきりした言葉でいうと「 金銭面と名誉面 」です。

 

そして「2」これは単純明快で「 役職者であるが故に自分の思い描く『日常』」を過ごせなくなっていないですか? 逆に言えば「 仕事が生き甲斐 」ならばこれは除外して現状をぜひ継続して頂きたい。

 

最後の「3」。学生を卒業して就職、そこから定年までが40年くらいと考えたとき、25年以上働いたら段々と「 この次の人生 」を見据えてくると思う。ここで私が考えたのは自分の人生ももちろんだが「 老兵は死なずただ去りゆくのみ 」という言葉だ。

会社という組織は常に新陳代謝を繰り返し新鮮でなければいづれ先細りする。

つまり「 後は若いもの(気持ちが若いものも含む)に任せる 」という選択も社会のため、会社のためにも必要なんだと思う。そしてそう思えば「 自ら後身に禅譲した 」という「 花道 」を自分で作れる。

 

どうでしょうか。全く賛同できなかった方、本当にすみません。

ただ私はこの3つを考えに考え抜いて、調べに調べぬいて、話し合いに話し合いを重ねて「 役職者 」を去った。そして1年、激しい山とか谷はほぼ皆無だった。

後悔など微塵もない。今となっては「 休職 」も良い一つの経験だった。

 

今、もっと時間があれば「 あれやりたい 」とかないですか?

もう貴方も私も「 人生の分岐点 」に立っている(かもしれない)ですよ。

 

兎にも角にも「 後悔先に立たず 」です。もっと俗っぽく言えば「 人生やりたいことやったもん勝ち 」なんじゃないかなと思います。

自分が何に「 価値 」を感じて人生を送るのか、それが肝、それが大切だと私は思います。

 

今回も偉そうな御託を並べただけの長い長い文章にお付き合い頂き有難うございました。

Apple iPad Pro2020購入記

今日は体調や仕事のことは書かず、 「 購入記的なもの 」

をつらつらと・・・。

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左からiPad Pro 2nd  / iPad 5th  /  iPad mini 7th

タイトル通り、遅ればせながらiPad Proを購入しました。

なぜ今頃購入に至ったのかというと(発売は今年の3月)

例のコロ助さんのお陰で(せいで)全国のアップルストアが閉店していたから。

ならばアップルストアのネットで購入すれば済むことだったのだろうが、私はネットで5万円を超えるものは買わない様にしている。

と、どうせ買うならせっかく電車で行ける距離にApple Storeがあるのだから直で伺ってあの「アップル製品に囲まれるワクワク」を味わいたいのも理由の一つだ。

それで余計にお金を遣ってしまうんだが・・。

 

それでは本題。

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画質はさすがの綺麗さです!

今回購入したiPad Proは「 11インチ/128GB/スペースグレー 」である。

正直128GBで足りるかは考えたが、使用目的は「写真編集」とこの「ブログ書き」だし、ガチの写真編集や動画作成は以前このブログでも書いた

VAIO S15」とモバイルの「VAIO SX12」がある。

なので本当に気軽にパパッと編集して、インスタアップや閲覧、後はサブスクで映画見る時などに使うことに特化されると思い1番ストレージの少ないものにした。

(予算を抑えたいという想いも正解だけど)

 

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iPad Proと同時に購入したものは「 スマートカバーフォリオ 」と「 Apple Pencil第2世代 」の2つ。話題の「 マジックキーボードトラックパッド付き 」

や「 スマートキーボードフォリオ 」は買わなかった。

これは「 あるものは活用しよう 」という「 MOTTAINAI 」考えからのものだ。

今やすっかりWindows使いに戻ってしまったが、去年まではiMacをメインマシンに使っていた。そのiMacは「 アップルリサイクルプログラム 」で本国(?)へお帰りになられた。

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純正品なので相性は問題なし。バランスは変だが・・・。

 

その時に使っていた「 マジックキーボード テンキー付き 」と「 Magic Trackpad2  」

は途中で買い替えたもののため全く傷んでいない。なので入力デバイスの類は買わなかったのだ。そもそも今回5月に発売されたiPad Pro用の「 マジックキーボード 」は3万を超える価格と、それを取り付けることによる「 1kg越えのiPad Pro   」にどうしても興味が湧かなかった。前述の「 SX12 」は900gを切る。機動性はこっちに任せる方が良い。

 

購入時の話に戻るが、コロ助さんの影響はまだまだあり、アップルストアも自由に入出店できる状態ではないのだ。まずはネットで購入品の在庫確認と来店時間の予約をする。

予約時間にアップルストア前に行って事前の予約番号を伝えて店外で待つ。

お昼12時からの営業なのでそこに合わせて予約して、店外で2番目に待っていた。

店内では本当に自由な場所に座ったり立ったりしているアップルのクルーの皆さんが朝礼(?)をしている。とてもじゃないけど日本の会社のそれとは全く違う。みんな笑顔で笑いながらディスカッションしていた。拍手や笑い声が店内から聞こえている。

そうこうするうちに開店時間がきた。よくTVとかで見かける、クルーの皆さんが拍手したりハイタッチしたりして元気に迎え入れてくれる。

するとすぐ「○○様〜こちらでご用意してま〜す!」と女性クルーの方から声が掛かった。

多分、並び順を見て打ち合わせされていたんだろう。予約していたものが全て並べて用意されていた。商品の確認をして袋(以前はナイロン袋だったが今回はペーパーバッグ)に入れてくれた。会計や何やしてる時に「iPadで何するんですか?」など気軽にお話をしてくださる。

接客時にいっときの退屈も与えない様にしようという心遣いが窺えて楽しかった。

 

正直、店内に居たのは10分以内くらいだ。これもコロ助対策だから仕方ない。

クルーの方々も「 ソーシャルディスタンス 」を心がけておられたのが良かった。

 

購入記はここまで。全くレビューではなかったけどお読みくださり有り難うございました。

レビューは使い込んでまた書いてみます。

 

 

「 鬱からの帰還一歩手前 」まで来たということ。

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誰もいないところを散歩して「 洗心 」することは大切です。

半年ぶりのブログ更新か・・・。

2020年初の更新。

永かったなぁ・・・「 ブログを書こう 」と思えるようになるまで。

 

この半年、本当に辛かった。

不眠からの受診、セカンドオピニオンから休職2か月、通院。

そして職場復帰からの配置転換。

 

休職中の2か月間はただただ時が流れていくのを寝て待つばかり。

何もやる気は起きない。

後ろ向きな事しか考えられない(人生詰んだのかなとか・・。)

そのうちに2020年を迎えた。こんなに「 明けてもおめでたくない 」

正月は初めてだった。(というよりも年越しても年明けても寝てるだけだった)

 

 

しかしこの「 セカンドオピニオン 」からの「 休職、復帰後の配置転換 」

が好転を、職場復帰を生んでくれた。

半年経った今、なんとか「 普通 」に働けるまで来た。

目標の「 人生を楽しみつつ働く 」まではもう少し、あと少しだ。

 

最近、薬も減薬傾向にあり嬉しい限りだ。

しかし減薬は「 激しい頭痛 」を伴っている。(医師によると人それぞれだが頭痛が出ることは多いと言われていた。それでも2~3日だけとのこと)

辛いけど完解までの一つの山だ。明るい未来を思いながら乗り切りたいと思う。

 

先日、久し振りに(緊急事態解除もあり)仲間と飲んだ。

たくさんの薬を飲んではいるが、「 仲間と無駄話を延々とする 」ことが

「 なによりの薬 」のような気がした。本当に楽しかったし、翌日からも

気持ちがとてもスッキリしていた。

今後も慌てることなく自分のペース、自分の気持ちを大切にし

「 楽しく生きるため、そのための手段としての仕事 」を目指して

生きていこうと心掛けていこう。

誰の人生でもない。遠慮はしない。自分を豊かにするために生きよう。

 

今回もまた、何がなんだかよくわからないことを延々と書き連ね、それに

お付き合い頂いた方、本当にありがとうございました。

「 急がば回れ 」なのかも知れないという事

この休職中、「 一体自分の存在価値とは何なのか 」などを考える事が本当に

多く、自暴自棄になる。だからと言って今の自分は社会復帰しても役には立てない。

簡単に言えばとりあえず「 生きてはいる 」感じだ。

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焦らずマイペースで。猫のように。

 

休職期間が終わる1週間前に、再度先生との相談をしてからこの先を決定するという事となっていた。その1週間前が先週だった。

ここで取り繕ったような問診を回答しても何もならないと思っていたので全て思っていることを話した。

 

「 現状で復帰しても正直続く自信がない 」

「 復帰後を考えるとまた頭痛と眩暈がする 」

「 正直なところ全てが不安だ 」

 

など思いを全て話した。

先生は「では以前より良くなったことはありますか?」と尋ねてきたので

「 少しは出かけられるようになった 」事は話した。

元来、散歩やジョギング、車の運転が好きで基本的に動くことは好きだった。

それがこの半年くらいは全くと言っていいほど興味がなくなっていた。

この時点でもまだまだ「 自分ではない 」と感じていた。

 

先生の話によると私のうつ病のレベルは結構高く、本来なら入院治療も考慮するレベルという事だ。それを1か月の休職だけで復帰しようとしていること自体がそもそも無謀なのだろう。

「 仕事で無理に無理を重ねた結果招いた今の状態。 」

また同じように無理に復帰したところで元通りに仕事が出来る訳がない。

 

「 もう仕事をしたくない、辞めたい 」とは思ってはいない。復帰したい。

以前のようにただ「 普通に 」仕事がしたいだけだ。

この「 普通に 」が出来なくなっているから苦しんでいる。

「 普通 」とはこんなにも大変なことで且つ大切なことであるのかと

痛切に体感してる。

 

そんなことなどを問診して頂き、出た診断は

「 休職延長 」と

「 会社の配属変更を申し出て環境を変える事を勧める 」

の2つだった。

正直診断を受けてショックに感じたのは一瞬だった。

その後は安堵感が気持ちを塗り替えていった。

 

家に帰って頭を整理する時間をとり考えた。

 

確かに今、この瞬間を切り取ってみると対外的にも自分の性質的にも

「 疎外された役立たず 」「 落ちこぼれ 」かもしれない。

しかし永い人生を考えたときにこの2か月はほんの一瞬である。

大事なのは「2ヵ月も仕事を休むこと」ではなく

「 人生においてのたった2か月間 」なのだ。

こんなの1日の中の2時間にも満たないだろう。

 

焦る気持ちはある。しかし半分だけ修理が完成したエンジンを無理やり動かしてても

またすぐに壊れる。下手をすれば買い替える事になる。

車なら買い替えれば済む話だが、人間はそれは出来ない。

 

「 たとえ時間がかかっても完解とはいかないまでも『普通』になる 」

まではちゃんと休む。

やはり「 急がば回れ 」が今の私に必要な行動なのだろう。

 

今回も自分の考えを整理するために書き連ねただけの内容になりましたが

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

「 療養のため休職 」をして過ごす日々の事

人生で感じたことのない身体の不調を抱えて、遂に「 うつ病 」を診断され

「 休職 」に入った。実際に休職して約10日。早くも10日なのかまだ10日なのか。

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大好きな写真撮影で気分転換は出来てるかな

 

この10日間の素直な感想は「 落ちこぼれた 」「 社会から疎外された 」

「 これからどうなっていくんだ 」を繰り返し考えるばかりだ。

 

朝、起きたくても起きれない日がある。

食事も面倒なので適当。

昼は寝てるかテレビを見ている(というよりは眺めている。頭になど入ってきていない。)

スマホを眺める。

 

上の一連の行動は実は「 そうでもしていないと余計なことを考えて余計におかしくなりそうになる 」 からだ。

正直、休職に入ったときから「 なにをして過ごせば良いんだ? 」という思いはあった。医師からは特に指示はなかったのでネットで色々な人の体験談を調べてみていた。

でもそれも千差万別、あるサイトでは「 〇〇はしても良い 」とあっても、また違ったサイトではその逆を書いてある。結果としてどうすべきかよくわからない。

でも日々調べていると、1つだけ分かった事(共通していること)

 

「 ココロの病気だと思いがちな『うつ病』だが、今は『脳の病気』とカテゴライズされる。 」ということなのである。

 

この言葉から導き出すのならば、休職中の私のやるべきことは

「 体を休める 」ことにプラスして「 ココロを休める 」つまり

「 脳を休ませる 」必要があるのだということ。

 

ということはまず自分がやることは逆に「 考える必要のないことは今考えない 」

ことだろうと思う。

正直、何もしないで家にいると最初に書いたように不安で不安でしょうがない。

ミライを、復職のことを考えると怖くもなる。

でもこれが「 うつ病 」の、まさに「 治癒すべき脳の症状 」なのだ。

 

これを書きながら頭の中を整理しているとだんだんとそういうことが見えてくる。

休職の意味とは「 脳を休めるために、その原因(仕事)から環境を遠ざけている 」

ということなのだ。これで治療となる。なので、「 家で何もできなくてただ時間を過ごしている。 」ことに意味があるのだ。

「 うつ病は焦らない事 」が治癒への道のりだそうだ。確かに薬も飲んでしっかり寝て・・・そういうことも大切だが目に見えて治癒状況が分かるではない病気だ。

とにかく「 頭を、心を、脳を 」休めよう。

今の自分の状況を考えてもなんとかできるものではない。

こういう時は識者の意見を素直に取り入れて本当の意味での「 休職 」を続けようと思う。「 復職のための休職 」ではなく

 

「 自分の充実した人生をもう一回取り返すための休職 」

 

である。

 

なんか読み返しても同じことを繰り返し書いているだけになってしまったが

それだけ「 脳を休める 」という大切さを痛感したということだろう。

 

今日も色々と書き連ねましたがこれを読まれた方が何か1つでもココロに引っかかってくださればと思います。

「 休職 」という選択をしたこと。

日々本当の冬に近づいているという気がする。

「空気の匂い」が冬になってきたから。

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ホットコーヒーのような温かさが必要なんですね。自身にも。

 

このブログを始めたきっかけは「 とにかく仕事中心の考えを変えて新しい生き方を追求しよう 」と思い立ったからだ。

 

役職を外してもらい、仕事からのプレッシャーを減らしてストレスを減らす。

自分の時間を作り、仕事に囚われない「 自分の生き方を中心に 」した人生にした。

 

・・・つもりだった。

 

役職者ではなくなった当初こそそれはうまくいっていたかも知れない。

しかし現実は結局「 仕事を考えて自分を制限する日々、同僚との協調を気にして気を使い、自分をすり減らす日々 」に気づかないうちに戻っていた。

たしかに社会人になって25年以上そのような考えだったのだからそう簡単には変わらないだろう。それもわかってはいた。

 

しかし、この数か月、自分の気付いていないところで自分を追い込み、メンタルを苦しめていたという事実となった。

それが仕事上の「ミス」で現れてきていた。人に指摘されるまで気づいていない。

同僚からは「最近落ち着きがないね」「なんかふらついてる?」など声を掛けられる様になった。

 

元々メンタルにエラーを起こしている身なので周囲からそう言われると段々と自分の

「 ココロ 」が不安になってきていた。しかし通院はしっかりと行っている。

でも確かに通院当初よりも自分に「 辛さ 」が出てきているのが分かっていた。

そこで同じことをずっと繰り返していても何も変わらないと考えて、思い切って

心療内科を変えて受診してみた。

結果は悪化していた。所謂うつ病」と診断されてしまった。

「されてしまった」とは語弊があるが、自らの行動が結局のところこの状態を引き起こしたのだ。

この診断を受け、私は「 ココロの叫びを受け入れよう 」と思った。以前からあった病気が大きくなってついに集中治療が必要になったのだと思うことにした。

 

医師からは「その病気の根源を遠ざけないと治癒にたどり着かない。休養と通院で治していきましょう。」と言われた。具体的には「 休職 」だ。

1か月間休職をしてみて変化が起きなければまた1ヵ月といった具合に治療を行うらしい。

 

「 休職 」を言い渡された時には「社会不適合者」の印を押された様な気がしてしまった。しかし続いて先生は「今や7人に1人はなり得る心の病だから。特別な事じゃない。」ともおっしゃってくださり、落ち着かせてくれた。

 

それから家に帰り、いったん気持ちを落ち着かせ整理した。

こうなった以上、過去を振り返って「何が原因か」など考えてもそれはあまり意味をなさない。むしろ考えるべきは「 ミライ 」だ。ここから一か月間仕事を休むのだ。

その間にやることは

「 とにかくココロを休ませること、仕事の事は考えないこと、思いのままに生きてみること。」だ。でないと何のために休養するのかが見えなくなってしまう。

 

だからといってどう過ごせばいいかなど全然わかっていない。これから同じような境遇の人の体験談を見聞きし過ごしかたを考えようと思う。

時間はゆっくりある。また復職するその時までには「 自分 」を取り戻し、以前のように充実できるようになりたい。

 

今回もただ自分の出来事だけを書き連ねただけの内容に長々とお付き合い頂き

ありがとうございます。同じような境遇の方になにか響けばいいかなと思っています

「 話し合える仲間 」が自分を救うという事

今朝はかなり冷え込んでなかなか布団から出たくなかった。

11月だしそろそろ「寒い」と感じるのも当然か。辛い朝の日々がはじまりますね。

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早くもクリスマスムード。寒くなる訳ですよね。

 

最近、メンタルの方が特に調子悪く「気分の落ち込み具合」と「無気力と無意欲」が強くなってきた。一般職に降りてから数か月が経ち、体も慣れてきたころだがここへきて一気に症状が強くなった。なんでだろう、これ以上どうすれば・・・とかまた無駄に考え事を増やしてしまった。

メンタルの病気には「 考えすぎ 」や「 心配性 」が起因することが多いらしい。

しかしこれは両方とも自分の生まれながらにして持ってきた性格だ。一朝一夕には変われない。

 

ちょうど薬の手持ちが切れる時期だったのでカウンセラーの先生に現状をそのまま報告した。

そこで色々と話があった後、先生から「あなたの場合、今出している薬はまだ軽度のものです。いきなり強くしても依存が強くなってもだめだから。でもね、今日の話を聞く限り、もう一種類増やして様子を見る必要がありそう」との話だった。

はぁぁ・・・一日いったい何個薬を飲んでるんだろう。。7種類か8種類くらいある。

軽くミンティアを気軽に口にするくらいの個数だよ・・・でもまあしょうがない。

メンタルの修復は焦ってもダメだし、抱え込んでも苦しいだけ。

今は先生に現状をありのまま思うままに話して「 聞いてもらうことで気持ちを前向きにしよう。 」と考えてやっていこう。

 

そんなことを思っていたら会社の同僚から飲み会に誘われた。新しい仲間から誘われる事なんて本当に貴重だし、気分転換には絶対良い。

寒くなってきたが行った店は「琉球料理店」・・・なんとも夏らしいとこだった笑。

このギャップがなんとなくリラックスできたし新しい仲間を信頼できた。(なんだでだろう。。笑)

飲み会だから公私に渡って色々な話をする。かなり個々のプライベートに突っ込んだ話まで酒の勢いを借りて出てくる。

そんな中思った。「 ああ、これなんだなぁ。今の自分に足りなかったものは。家と会社だけを行き来しているだけだと気持ちの切り替えってないんだな。」と。

先日、有名なユーチューバーの方の「 メンタル病の対処法 」みたいな動画を観ていた時に、その中でも言っていたが

「 心配事、考え事のそのほとんど全てが『過去のと未来に起因する』 」ということ。

「あのときなんでこうしなかたったんだろう」

「明日はあれを、明後日はあれを・・・将来どうなるんだろう。」

とか24時間365日考えてばかりいるから心が苦しくなってきてどうしようもなくなる。

それを(起きもしていないことを、もう起こってしまったことを)今いくら考えても何もならない。

 

対処法は「今だけを考える」(これ以前も書いてるかな)に尽きるらしい。

「 何かに集中する、夢中になる しかも『今』 」である。

前回の更新でも書いたが

「 考えたって起きるときは事は起きるし、何も起きないことなんて絶対ない。そのことを心配して今何もできないことなど意味がない 」のだ。

 

先日の飲み会の時は久しぶりに気分が盛り上がったし心から「 楽しい 」 と思えた。つまり「余計なことを考えずに飲み会に集中」してたからだろう。

 

同じくいま、こうしてお気に入りのパソコンに向かって好きなカフェでブログを書きながら「考え方、思い」を整頓している時も気持ちに余裕が生まれて楽しめている。

 

これを書きながら整理をつけて出した今回の回答は

「 仲間と付き合う大切さ 」であり

乱暴な言い方をすると「 後先考えず今やりたいことを今やる 」という事だ。

そうすることで気持ちは解放されて治癒されるのだと思った。

 

またまた今回も長文の割には中身の少ないものになってしまった。

でもそれが私のブログスタイルだ。まあ良しとしよう。

 

本日も空っぽの独り言にお付き合い頂きありがとうございました。

でも誰かの心に少しでも響きますように。