生き方を変えることにしたオヤジのブログ

いわゆる管理職だった。でも大病をキッカケに生き方変えた。

「 無理するなよ 」とはどういうことか知りたい

今日もメンタル整備のために自身を入庫してきました。

少しの改善が見られたとのことで気分が良い。

気分がいいから「改善が見られた」のか。まあ良い。結果良好なら。

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秋雨が梅雨より激しいな

 

ところで仕事をしている中でよく「 無理すんなよ 」と声を掛けられることはない

だろうか。相手はココロからそう思ってるかどうかは別として。

私にはその「 無理するな 」の意味が分からない。そもそも「 無理 」とは

何を指して言っているのか。「100%で働くな」と言っているのか「100%以上取り組まなくていいから」なのかむしろ逆に「ギリギリまでやれ」って言いたいのか。

 

多分、私が心身共にエラー起こしたのはこの「無理するな」が理解できないからだ。

例えば「〇〇をやっといて」という指示が上から来る。これは普通にこなせる。

一番の問題は「〇〇だけどできる?」という言葉だ。

やりもしていない内容に対して「できる OR できない」を判断など出来ない。

経験を積みやれるようになることが「 できる 」なのだから。

だからなのか私は回ってきたプロジェクトは「 できない 」とは言わない。

納期的、タイムライン的に無理な場合以外は。

その結果、他者が自ら処理可能なことも私に持ってくる。役職者だった私は9割を受け持ち1割を部下に渡しプロジェクトを完成させていたと思う(今考えると)

それが今考えるとオーバーワークで「無理をしていた」ことになったのかも知れない。

でもそんなことは理解出来なかった。

 

今、役職を外してもらった私には、最近多くの人が「無理しないでくださいね」と言ってくれる。幾人の仲間は「それはこっちでやるから」と仕事のシェアを申し出てくれて「無理するな」が続く。

でもこれは一般的に本当にレアケースで、世間一般的に「ムリするな」とカタナカ的にライトな言葉で「まあ適当にがんばってね」だと思う。もちろん陰には「自分は何もしてあげないけど」が見え隠れする。つまり「おつかれさま~ぁ」と変わらないのだ。

 

世の中は「 クレバーな人が勝つ 」「 まともな人ほど損をする 」様に仕組みが出来ている。良い意味でも悪い意味でもだ。

 

「無理=自分の限界」と考えると「自分の限界がわからない訳ないだろ」と思う人もいるだろう。しかし自分の限界を知っている人なんているのか?何をもって「限界」とするのか?「 もうやりたくない 」「 自分には合ってなさそう 」が限界なのか?

そういう意味では私は心身を壊したという「事実」をもって「無理した」ということになるのだろう。(か?)

 

社会とは、会社とは、所謂「労働力を売って対価を会社に買ってもらう」という仕組み。だから先述の2項も間違ってない。それはそれなりに「 評 価 」という定規で測られ対価が決まるから。そこに不満を持つ者は「無理」のラインを変えて向き合わないといけない。

 

ここに書き連ねれば整理が出来て「 無理 」が見えてくるかもしれないと思い書いてみたが結局答えなどわかりようもなかった。

 

一つ見えたのは「 無理するな 」なんて心から思っていないなら簡単に声かけるな。

その言葉をあいさつ代わりに使う人は正直信用できないし上辺でしか付き合えない。

 

 

ということ。関係ないがなんか急に、最近話題になった「 黒い羊 」を聞きたくなってきた笑

今回も非常に伝わらないことばかりを書き、それにお付き合い頂けたお読み下さった方々本当にありがとうございました。